「最後のマーク屋」の死

 競輪S級1班の東出剛選手が胃がんのため2月22日午後7時15分、入院先

の病院で亡くなった。39歳だった。

 54期生。1984年デビューというから私の競輪のキャリアと一致する。つまり

東出という選手は私が競輪を知ったときにデビューした選手だということである。

 54期といえば三宅勝彦や伊藤勝也といった選手と同期である。この2人はい

ずれもふるさとダービーという現在のG2のタイトルを取っている。しかし、東出は

G1はおろかG2制覇も結局できなかった。

 しかし、54期生でG1、つまり特別競輪を制覇した選手は一人もいない。当時

7月デビューとなる「偶数期」は奇数期と比較してレベルが低いと言われ、現に

その前後となる53期や55期からはG1タイトルホルダーが生まれている。

 しかし、東出という選手はむしろ30歳を過ぎてから強くなったという印象が深

い。若い頃の東出は無理にアウト競りにいって落車させるケースが少なくなく、

あの中野浩一でさえ自身の本で「若いときの東出は危なかっしくて併走なんて

できない」といった記述を残しているほど「荒々しい」走りだけが取り得のような

選手であった。

 私は東出がS級へ上がってきたときにこれ以上大成はしないだろうと思ってい

た。それが競輪キャリアを積むにつれ、レース運びがうまくなり、ついには絶妙と

もいえる捌きや芸術的とも思える先行選手をギリギリまで残す選手になっていっ

た。

 つまり若い頃の東出は何もかも「がむしゃら」だった。

 東出は若いときからマーク選手であったが、かつての競輪といえばマーク稼

業に徹する選手はアウトから同型の追い込み選手を競り落とさねば一流の選手

にいつまでたってもなれないということが言われた。つまり東出はその当時でさ

え忘れ去られようとしていた「競輪道」を貫いたいわば最後の選手といっても過

言ではない。

 記念競輪は28回も制しているが、初の記念優勝は1993年の豊橋記念という

からデビューして足掛け10年近くかかっている。だがそれ以後の東出は序々に

特別競輪制覇へ向かって突き進んでいく。

 1996年の高松宮記念杯、吉岡稔真の2着に食い込む。これが初の特別表彰

台。翌97年の競輪祭でも神山雄一郎の2着となったばかりか、競輪選手ならば

一度はその舞台を踏みたいグランプリ出場を果している。

 ここまで来ると東出はタイトルに一番近い選手と目されるようになった。

 1998年の競輪祭。史上初の競輪祭4連覇をかけた神山雄一郎の番手に入っ

た。地元の特別でありむざむざと4連覇はされたくないと思った吉岡稔真はホーム

から先行。マークの加倉正義をさしおいてバックから捲ってきた神山に吉岡は2セ

ンターで大きく神山を牽制。そのあおりを受け神山は大きく外へ膨らみ、番手にい

た東出は「横転」。もしも吉岡の牽制が空振りに終わっていたなら、神山の捲りは

決まっていたはずであり、その番手にいた東出に特別制覇のチャンスが巡ってき

たかもしれなかった。惜しい一戦だった。

 翌99年、東出はさらにタイトルへ一歩ずつ近づいていく。静岡日本選手権では

3連勝優出。高松宮記念杯、競輪祭といずれも3着。2度目のグランプリ出場も果

す。

 この一戦は太田真一が優勝したが、太田の番手を巡る戦いが激しくなり、神山

が小倉竜二を転倒させ失格も取られたが、2センター過ぎ、東出が内を衝く競走

をしたため結果児玉広志らは外へ回らざるを得なくなり差し遅れ、太田が逃げ切

った。この一戦、東出が太田を優勝させた影の功労者でもあった。

 しかし、東出にも緊張の糸が切れた瞬間があった。

 2000年の玉野ふるさとダービー。番手から抜け出しビッグ初制覇目前にして小

川圭二にゴール前追い込まれた。このとき東出は笑って「俺は一生ビッグタイトル

には縁がないのかなぁ?」とぼやいていたが、マーク選手が絶好の番手を回って

後ろの選手に差されるなどというのは無様としかいいようがない。内心はかなり

悔しかったに違いないだろう。

 その反動が出たのかどうかは分からないがビッグタイトル戦で東出が優出する

ケースも減ってしまった。その後G1では01年の寛仁親王牌と03年の日本選手

権の2回のみの優出。しかし、実質最後の選手生活となった03年は優勝回数も3

回あり、玉野のショックも漸く癒えかかってきた頃であった。

 02年の松戸記念のチャンピオンでありながら03年不出場だったことからファン

にその事情を説明せねばならないと思ったのだろう。9月上旬、「胃がんの全摘出

手術を8月に済ませるために欠場した」と胃がん「だった」ことを告白。だが東出が

公の場に姿を現したのはこれが最後だった。

 10月から再び入退院を繰り返し、今年1月に入ってからは食事も喉に通らなく

なっていた。そして・・・

 若い頃の東出を見て私はS級では大成しないだろうと前述した。それが胃がん

を告白してからというもの、今度は「特別競輪に一番近い選手」と思うようになっ

た。というのも、今の競輪はタテの動きが重視され、自力選手の潰しあいが起こる

中、東出のような「混戦」を作るタイプが一番有利になると思っていたからだ。現実

にそういったタイプの小橋正義は競輪祭と東王座戦を連覇してしまった。東出も元

気な姿さえ見せてくれれば松本整の最年長記録を塗り替えるであろうと思ってい

た矢先だったのに。

 謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 



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